残り3回となりました日経SYSTEMSの連載。なので、ちょっと大きめな話を。
アーキテクトの一般的なイメージは,「システムを構築する際に使う製品・技術を決める人」であろう。そこでは,技術者としての力量が重要になる。これは確かにアーキテクトの仕事であるが,これだけでは100点満点の50点にも満たない。
単に新しい技術を知っているとか、使えるだけでは50点です。場合によってはそれ以下。大事なのは技術そのモノではなくて、それを使って何をするのか。それを見抜くためには視点を変える必要があります。
ユーザーにしてみればシステムを作ったら終わりではなく,リリースされてからが始まりである。システムの価値はリリース日に決まるのではなく,そのシステムが使われなくなる日に決まるべきだ。だから,アーキテクトはリリース後まで見越してアーキテクチャを考えなければならない。
これが出来てきて、はじめてアーキテクトだと言えるでしょう。アーキテクチャ設計とは、
リリース後の不確定な問題に対して,システムが作られてもいない段階でアーキテクチャを決めなければならない,という難しい問題をはらんでいる。
のです。そのためには「覚悟を持った第三者」である必要があります。まず第三者というのはユーザーからもエンジニアからもPMからも離れ(つまり、ビジネスや技術やQCDからも離れ)
目的,課題,技術などから見て中立的な視点に立って判断するということだ。
そして、
中立的でいるために,アーキテクトはアーキテクチャの有効性に対する責任をすべて引き受ける覚悟が必要だ。
そういう覚悟がないと、きっと誰か(顧客かエンジニアかPM)が言ったことに流されてしまい「あなたがこう言ったからそうしたんだ」のような批評家になってしまう。そんなアーキテクチャで変化に適応できるわけがないのです。
こうしたアーキテクト像を語ると、どうしても強いリーダーシップを感じてしまいがちです。ですが、そんなことはありません。なぜなら
今後,アーキテクトが解決すべき課題はより複雑になる。どんなに知識があっても足らず,利害関係者が増えて決断は難しくなる。中立的な視点が独りよがりになってはいけない。これからは,エンジニアだけでなく,ユーザーも含めた利害関係者からの協力を引き出しながらアーキテクチャを決定する。そうした合意形成力がますます重要になる。
僕も含め、雑誌で記事やコラムを書くようなアーキテクトは技術的な信念を持ってクライアントを説得していると思われがちです。ですが、そんなことは本当にまれです。ビジネス領域はクライアントが専門家なのだから、僕らが何を言っても価値が示せないなら使わない。作る部分ではエンジニアが専門家なのだから、上から理想論ばかりで指示をしても納得してくれるわけがない。
そういった専門家集団とコミュニケーションをしながら、どのようにソフトウェアを作り育てるのか。アーキテクトに求められているのは、こうした全体の方向付けなのです。
覚悟を持った第三者たれ。本当に自分が中立的なのか、覚悟を持っているのか。常に自分に問いかけたい言葉です。全文は雑誌にて。
