さて、2010年3月13日/14日に開催された第4回のサステナブルデザイン国際会議ですが、肝心の講演内容を書いておきます。
サステナブルは持続可能と訳されていますが『人間活動、特に文明の利器を用いた活動が、将来にわたって持続できるかどうかを表す概念』のことです。環境問題などに紐付けて話されることも多いので、聞いたことがある人も多いでしょう。
ところが、サステナブルデザイン国際会議のくせに「サステナブルって言葉は嫌い。特に持続可能性という言葉は良くない」というトーンだったのは面白かった。つまり、サステナブルという言葉の意味や意義を考えなおしてほしいというメッセージです。これは非常に示唆に富んでいました。
生きる実感を手放さずにいれば自然にサステナブルにたどり着く
このブログではお馴染み、リビングワールドの西村佳哲さんは
サステナブルというお題を、エンジニアリング・マターではなく、生命観の問題として捉えたい。
と提言されていました。自らの生きる実感を手放さずにいれば自然にサステナブルにたどり着く。「実感を大事にするなら、何をしてもいいし、何になってもいい」と。
これは、○○はサステナブルであるというような情報を頼りにするのではなく、自らの感覚を使って生きていくということです。つまり「誰かが用意した問題を解くのではなく自分で問題を発見する。自分が感じていることを掘り下げるということが大事」なのです。デザインは、この"感じる力"を支援するように機能しなくてはなりません。
ところが、逆の働きをしていることが少なくない。西村さんが「美味しそうなラーメン屋問題」と呼ぶもの。「最近、美味し"そう"なラーメン屋がたくさんある。毛筆を使った看板やコダワリの○○というメッセージ。でも、実際に食べてみてがっかりすることも少なくない。そういうダブルバインドが増えている。デザインが本来の能力以上に見せてしまう。これを続けていると、人は『どうせおいしくない』と、物事に対する感性を閉じてしまう」。デザイナが単に流行語としてサステナブルを処理してしまい、結局は消費文化を促進しているのだけではないか。そうした警鐘を鳴らす内容でした。
変わることへの恐れから離れ、冒険に出よ
IDEEや自由大学の創設者である流石創造集団の黒崎輝男さんは「ずっと続くなんてものは存在しない。人は必ず死ぬ。建物は必ず壊れる。不変であり続けるモノなんてないという前提から出発すべき」という話から伊勢神宮の式年遷宮と鎮守の森を例にあげて「一方で、物は変わっても、残り続けるナニカがある。それを大事にしないといけない」と提言。
だから「物の生産と消費のサイクルを前提とした現代社会では、サステナブルを目指してもたどり着けるはずがない」のです。では、何が必要か。それは"変わることへの恐れから離れる"こと。現代社会は仕事も生活も安定していることを前提として、そこからのドロップアウトを許さない。例えば住宅ローンと長期雇用の組合せがあるから仕事を辞められない。でも、変わらないものなんてない。もっとあきらめて、いい加減(良い加減)でいいのではないか。そういう「これまでの常識から離れる」ことを続けるべきと言われています。
具体的には「鉄やアルミニウムや洋服は、都市にあるものを資源として再利用できれば数年間は生産する必要がない計算になる」という例を挙げ「都市にこそ冒険がある。都市の可能性を別の形で探るべきだ」と続けていました。
付き合い続けるために無形性をデザインせよ
一方、アミタの熊野英介さんはバリバリのビジネスマン。「企業にとって大事なのは顧客に買い続けてもらえること、そして利益を出し続けていくこと。そのためには物のデザインではなく、関係性や無形性のデザインが重要」と指摘、「人間にとって孤独こそが最大の貧困。それを満足させることができるかどうかが大事だ」と言われていました。森林ノ牧場の話はすごく面白いです。
僕は「工業資本は時間が経つほどに劣化するが、自然資本や社会関係資本は豊かな時間を過ごすほどに増大する」という言葉が印象的でした。
サステナブルなソフトウェアは可能なのか
さて、感想。エントリに時間がかかってしまったのは、僕が最近のテーマにしている「成長するシステム」や「持続可能な開発」と、どう関わるのか、サステナブルなソフトウェアは可能なのかを考えていたから。
企業システムのソフトウェア開発が残念な状況にあることは言うまでもありません。市場や顧客の変化に追従できず、数年ごとの再構築によってしか前に進めない。そうでなくて、もっと育てられるシステムができないか、開発を継続できるようにできないのか。
このコンセプトが会議の流れとズレているとは思ってません。では、そのためには何をしなくてはいけないのか。
アーキテクチャ論やプロセス論を語ることはできます。システムがいかにあるか、プロセスがいかにあるか。でも、やはりそれだけでは足りないのです。システムはゴールではありません。僕は『ソフトウェアアーキテクトが知るべき97のこと』に『システムではなく、コミュニケーションをデザインせよ』というエッセイを寄稿しました。
システムユーザーはいないほうがいい。いるのは「コミュニケーター(コミュニケーションをする人)」です。アーキテクトは、ユーザーと呼ばれる存在のいない、コミュニケーションの総体をデザインするべきなのです。
組織は人のコミュニケーションによって脈打ちます。ソフトウェアは、そのコミュニケーションを助けるために存在するのです。だから、システムがどうあるかを考えるためには、コミュニケーションをデザインしなくてはならない。
そこでサステナブルにあるためには、西村さんによれば「生きている実感を感じさせる」ことであり、黒川さんによれば「変化を恐れず冒険に出る」ことであり、熊野さんによれば「ずっと付き合うための無形性を考える」ということ。
僕らがやっていることはソフトウェアを作ることです。でも、僕らの"仕事"は人と人をつなぐことであるべき。これは企業システムでもウェブサービスでも同じです。
そこに至るためには僕には修行が足らないなぁと感じていますが、僕が修行してもたどり着けるわけでもないでしょう。幸い、世の中はこの方向に進んでいます。
デブサミのベストスピーカーランキングで「アーキテクチャに憧れろ」が5位に入りました。感想を読んでいても、"ソーシャルなアーキテクチャ"というのに反応がたくさんありました。すごい勇気をもらいました。
ソフトウェアの可能性はまだまだある。それを色々な形で共有し、少しでも切り開いていきたいと感じています。本当に楽しみです!
