前のエントリがあまりにもだったので補足的に。といっても、このエントリもアレゲですが。
ソフトウェアを作っていると世界の変化が目に付きます。
ソフトウェアにおけるデザインというのは、人が環境から情報をすくい取ってモデルを作ることです。情報は地から図として区別することで浮かび上がります。当然、これはデザイナーの認識によって行なわれることです。つまり、情報にはデザイナーの世界"観"が反映されます(複数人でやるので、そのメンバー間の緩やかな合意というのが正確な説明でしょうが)。
モデルは、モデルを作る瞬間までに知り得た情報によって構成されています。先ほど書いたように情報は認識によって作られるので、言い換えると「モデルは、そのモデルを作る瞬間の認識によって構成されている」ということになります。
一方で、時間が過ぎれば環境も変わるし、僕の認識も変わってしまいます。なので、モデルは、どの時点でどんなに適切であったとしても、次の時点には適切でない可能性があります。この変化にあがなうことは、現在のソフトウェア工学ではできません。
なので、経験的に変化を予測し、構造上の工夫を凝らすか、イテレーティブなプロセスによって対応を行ないます。ソフトウェアデザインパターンやXPは、こうした背景で説明することができます。
では、変化に本質的に対応することは出来ないのか。
有望視されているのが数理科学的な発展です。最近、統計学の先生と仕事をしてみて数学が状態の変化を表現できることに素直に感動しました。とはいえ、それとて決定論的に振る舞わざるを得ない。もちろん数学上のモデルを正しく定義できれば、実証主義的に正しさを証明できます。でも、所詮、未来を予測することは不可能だと思うんですよね。限定されたミクロには可能だとしても、マクロには無理。
こうしたモデルと現実のズレというのはソフトウェアに限らずあらゆる場所で発生しています。
たとえばサービス産業代表の小売であっても、客をモデル化して対応(接客)するというのは一般的な手法です。マニュアル主義がある程度機能するのは枠としてのマニュアルがありながら、最終的には環境(=客)に対して主体(=スタッフ)がインタラクティブに場を形成するからです。その場によってズレは解消され、モデルは適切に機能しえます(しないこともあるけど)。
一方で、建築やソフトウェアではモデルは構造物として構築されてしまいます。当たり前ですが構造というのは安定的な存在なので、当初のモデルを長い時間保持します。ですから、モデルを元にした構造物と現実世界がズレているのは当然のことです。
建築におけるズレの解消はどうやって行なわれているのでしょうか。100年とか1000年前の建物が機能するのは、それを利用する人が建物に対する関わりを調整しているからでしょう。例えば内部設備の入れ替えだったり、あるいは宗教建築のように構造を維持することに意味があったり(多くの場合は両方ですね)。
ところが、ソフトウェアではズレの吸収が非常に難しい。そもそも、ソフトウェアとユーザーのインタラクションはディスプレイ、キーボード、マウスといった非常に貧弱なデバイスによってしか行なわれません。そこには多様な関わり合いを創出するノリシロがありません。近年でこそiPadのようなステート端末ができてタッチによる直感的なインターフェースが広まりつつありますが、それとて完璧ではありません。
というわけで、ソフトウェアというのは別に他の産業と対して変わるモンでもなくて、ただ、まだまだ成熟していないだけだということが分かります。ソフトウェアで今がんばるべきなのは、ユーザーが自律的にズレの解消を行えるようにユーザービリティを成熟させることです。ま、Appleがやっていることですが。
さて、ソフトウェアが未成熟ですね、というだけでは話は終わりません。ソフトウェアの可能性は、ソフトウェア単体ではなく、ITとして捉えるべきモノです。その代表例がインターネット。Twitterは試されましたか?ソーシャルウェブ/アプリケーションは、人と人のコミュニケーションに新たな有り様を生み出しました。
そもそも世の中は人間同士の関係によって営まれています。ですから、その関係のあり方を変化させることができれば、新たな可能性をもたらすことができます。このBlogで何度も引用している西村佳哲さんの言葉、
私ははじめてインターネットに触れた時、ものすごく感動しました。どんなページよりも、インターネットという大きな仕組みそのものに感激したのです。「これこそデザインだ!」と思った。デザインとは色や形ではなく、人の世界観を拡げる仕事でしょう?
一方、先日、清水博先生に会ったときに言われたのは「グローバル化によって全体性が失われているからこそ、関係性の創出についてITにできることがある」ということ。
この視点では建築とITは交わりきれていないし、まだまだ成果も出ていないと感じています。建築だって社会における人と人の関係をデザインしているのに、なぜ同じコトをしているITと交わらないのか。考えてみれば不思議なのです。
たとえば地域センターの建物と地域SNSが、建築家とITアーキテクトによって同じコンセプトでデザインされるとか良さそうなモンなのに。なんでないんですかね?事例を知っている人がいたらぜひ教えてください。
ITに期待されていることはとても多いのです。ITのデザイナーは真摯に人間に向き合い、人間の集合(=社会)に向き合い、世界に向き合う必要があります。僕自身が出来ているとは思ってないですが、間違いなくそう。そのために建築家が考えていることを除くのは1つの手段でしょう。
ちょっと飛躍しちゃいますがITが世界観を反映するのであれば日本人の世界観には可能性がある。ある、と信じたい。グローバルでジャパンが相対的にプレゼンスを失うのは間違いからこそ、ジャパンのITにできることはたくさんあると思っています。
