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無意識のアーキテクチャと意識のアーキテクチャ

追記:ビデオがYoutubeにあがりました。『Architecture for creating 2 (01/10) 「創造するアーキテクチャ2」


 六本木ヒルズで開催されている第14回 SFC Open Research Forum 2009(ORF)に行ってきました。お目当ては「創造するアーキテクチャ2」。かなりガツンと来たのでエントリ。

 「創造するアーキテクチャ2」は第7回アーバンコンピューティングシンポジウムの続きで、メンバーは中西泰人さん、木原民雄さん、江渡浩一郎さん、濱野智史さん。会場がゆるやかに開かれた場所だったのもあってか居酒屋ノリのgdgdっぷりにはどうかと思いましたが、すごい〆が良かったので許す(何様)。

 このセッションでの僕の気づきは、アーキテクチャには"無意識のアーキテクチャ"と"意識のアーキテクチャ"があるということです。

 先に言っておきますが、話している当人達もアーキテクチャの定義を共有しきれおらず、議論がかみ合っていない部分があったように思います。だから、ここに書かれている通りのことが話されたわけではありません。事実が知りたい方はアーカイブかなんかを見て下さい。


 さて、濱野さんの提示するアーキテクチャ論は「多様な価値観を持った人々に対して、単一のインフラとして機能するアーキテクチャ(主に情報システム)を通じて、自動実行的に社会を動かすべきではないか」というものです。自動実行といってもプログラミングされた通りに人々が動くようなツマンナイ話ではありません。

 例えばニコニコ動画はインフラとして機能してます。その上で作られるコンテンツについての規定は非常に少ない。著作権侵害については「権利者に削除権を渡して、自由に消させる」という仕組みだけを用意することで解決をしています。こうしたアーキテクチャはユーザーの行動に一種の方向性を与えます(ある種のギリギリを楽しむ動画が出現することも含めて)。

 この"インフラとして機能するアーキテクチャ"というのを突き詰めたのが、(都市伝説だけど)「マクドナルドは椅子の堅さと温度で回転率を調整してる」というような人々の無意識に働きかけるアーキテクチャの存在です。

 マクドナルドの例を初めて、こうしたアーキテクチャ論は無意識の統制や管理社会を連想しがちです。しかし、ポジティブに捉えなおせば「普通の人がやりたくないようなこと、放っておいたらダメダメになってしまうようなことでも社会的に実現できる可能性がある」と言えます。

 例えばベーシックインカム。ベーシックインカムを簡潔に言うと「死なない程度のお金を毎月あげるから、将来の保証とかは一切なしね」という考え方です。ところが、このお金を生きるためではなくて娯楽に使ってしまうダメダメな人が出てくるかもしれない。であれば、電子マネー化して食料品にしか利用できないようにしてしまう。そうすればベーシックインカムが正常に機能する可能性があるのではないか(他にも東さんの民主主義2.0とか、仮想キャラクターによる政治とか、いろいろ例は出ていました)。

 ところが、こうした"無意識のアーキテクチャ"にはアーキテクチャのルールが分かった瞬間から悪意との戦いが始まるという宿命があります。前述のベーシックインカムの電子マネー化であれば、おそらく食料というカテゴリを通じて何か裏をかく人がでてくる。

 江渡さんは「Googleの20%ルールを裏返せば、80%はスパムとの戦いという作業」と指摘したうえで「誰が、それをやりたがるのか」という疑問を投げかけています。ある種の正義感や責任感が機能する可能性はあるものの、明確なロジックを組み立てることはできないでしょう。

 というわけで、「"無意識のアーキテクチャ"というのは存在するし、それは現実社会でも有効に機能する可能性はあるけど、実際やるとなるとスパム対策が大変すぎて本当にやれるの?」というところで話がぐるぐるというのが前半。


 そこで濱野さんが投げかけた「メディアアートって、この状況でなにができるの?」という質問が話を展開させます。中西さん、木原さん、江渡さんというのはメディアアートの人です(本当に不勉強で申し訳ないのですが、僕は江渡さんの『インターネット物理モデル』ぐらいしか知らないです...)。濱野さんは確信犯的にメディアアートの視点から3人を煽ることで対立軸を作りだしたのですが、これが大正解。

 3人の話を僕なりに解釈すると「メディアアートとは、個人に対して身体感覚に落とし込んだレベルで問いかけを行い、意識の変容を招くもの」となります。「人の意識に作用しないものはメディアアートではない」とも断じていました。話の中ではコーチングやファシリテーションが出ていましたが、ああいった手法も同じです。個人との対話(←これ身体的体験)を通じて、意識の変容を招く。


 この後、時間切れで次回持ち越しになるのですが、僕なりに思考を進めてみます。

 少し卑近な例を。iPhoneの入力でフリック入力というのがあります。これ、できるようになると入力が非常に早くなります。どのくらいかというと、このぐらいまでできる。

 使えるようになると便利でしょうがない。こんな風にAppleの製品では手に取った瞬間はよく分からないんだけど、使っているうちに日常になってしまうというデザインが多い。これは人の適応能力をうまく利用しています。

 「それって人を選ぶだろう」って思いますか?確かに使える人と使えない人が出てくる。じゃ、30年後は?きっと、若い人はフリックを一瞬でマスターします。そういう人が大人になれば必然的に多くの人がフリックを使うようになる。意識の変容は個人にしか影響を与えないし、場合によっては刺激にしかならない。でも、それが日常に落ち込んだ瞬間から積み重ねられた歴史になるのです。

 このように意識を進化されるのが本来のデザインであり、メディアアートであり、僕が思う"意識のアーキテクチャ"です。


 "無意識のアーキテクチャ"の問題は自律的には持続できない点です。

 "無意識のアーキテクチャ"は、観察されたパラメタからルールを作り出します。だから、そのルールを悪用するスパムに対してフォロワーにならざるを得ない。PageRankなんて、まさにそう。ルールが顕在した瞬間にユーザーが変化してしまう。これに対応するには正義のガーディアン(守護者)が必要になってしまいます。そして、その正義は誰のモノかという議論が起きる。

 そして、結局は"無意識のアーキテクチャ"も格差を生む。スパムとは言わないまでも、ルールを旨く利用して成長できる人と無意識のまま流してしまう人。しかもルールは変化し続けるから、成長できる人も学び続けなくてはならない。


 一方、"意識のアーキテクチャ"は人の認識や身体は変容できるという前提に立ちます。そして、意識の変容を通じて日常に埋め込まされていきます。だから、変化に強い。一度得られた視点は、たとえ社会が変化しても有効に機能します。学び方を学べば、何を学ぶにしても早いと言うわけです。

 変化し続ける多様性に対応できるのは人であってアーキテクチャではありません。アーキテクチャに出来るのは手助けだけ。そうしないと自律的に持続できる仕組みはならないのです。

 もちろん"意識のアーキテクチャ"も、現実世界に埋め込むのは簡単ではありません。個人の意識変容をしていくのは大変な手間です。もっとも重要なのは教育でしょう。でもね、これって当たり前だと思うんですよ。そんな簡単に問題解決するなんてありえない。時間はかかるかもしれないけど、やっぱりきちんと意識を変容させていくしていくしかない。

 それを情報システムが支援することはできます。ただ、たくさんの試行錯誤が必要でしょう。セッションの冒頭で木原さんが「技術が進んでいるのだから、こうやればできるという提案をばんばん出して、どんどんやればいい」と言われていましたが、その通り。ただし"無意識のアーキテクチャ"で作ってしまうのはツマラナイです。もっと未来を見て、可能性を切り開くような"意識のアーキテクチャ"を作っていきたい。


 個人的にはずっとモヤモヤしていた理由がはっきりして、とても勇気づけられました。少なくとも、僕が信じている方向について先を行っている人がいると分かっただけでもうれしかった。江渡さんが言葉を選びながらアートについて語っている所はマジで格好良かったです。

 あー、そうだ。濱野さんが「僕と3人の違いはメディアアート」って言ってたけど、少し違うと思います。たぶん「意識を持ったモノづくりをしているかどうか」です。コンピューターの中であれ構造物を成り立たせるのは大変な苦労です。しかも、それに何かを語らせようと思ったら、かなり強い意思が必要。だから、そういう体験をしているようなソフトウェア・アーキテクトでも建築家でもプロダクトデザイナーでも同じような議論ができると思います。


 最後に振り返って自分のこと。僕の作品と呼べるようなものは、まだ現実世界に埋め込めていません。ただ、来年辺りから少しずつでもやっていけそうな気配がしています。泣き言を言わせていただくとエンタープライズ分野でやろうとするとマジで大変なんです。予算も削られているし。でも、現実に人と人が接するようなところで使えるアーキテクチャを作りたいんですよ。楽しいじゃないですか、みんなの喜ぶ顔が見れるのって。一歩一歩だけど、そこに向けてやれているという感覚はあります。

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2009年11月23日 18:24に投稿されたエントリーのページです。

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