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出現する未来

 「学習する組織」のピーター・センゲ氏が中心となり、野中郁次郎氏が監訳した「出現する未来」(原題:Presence)が、けっこう面白かったです。が、ちょっととっつきにくいところがあるのでちょっと注意。


 まずセンゲ氏らしく学習というところから話がはじまります。

学習が行なわれていないわけではない。ただ学習の種類が限られているのである。自分たちが環境をつくり出していると思わず、いかにその環境に適応するのか、そのための最善の方法を学んでいるに過ぎない。受け身の学習は、もっぱら習慣的な思考を「ダウンロード」するだけであり、自分の心地よい範囲でしか世界を見ようとしない。

だが種類の違う学習は可能である。<中略>違うのは、意識の深さであり、その結果としての行動の源(ソース)である。<中略>意識を深く掘り下げ、「目の前のもの」を生み出している大きな全体と、全体と自分の繋がりがわかるようになれば、行動の源(ソース)が変わり、行動の影響力が劇的に高まる。

 これ自体は難しい話ではありません。企業が利益を上げていたとしても、それが環境破壊につながりビジネスが成り立たなくなれば持続性という点で問題があります。例えばトヨタのプリウスのように、もっと楽に利益を上げられる方法があるのに車メーカーが環境問題に取り組むというのはこうした意識の現われと考える事ができます。
 このように目の前のことに最適化するのではなく、それを取り巻く世界の成り立ちを認識することでより良い行動が行なわれるようになるのでは、というのが本書の骨子です。

 ところが、こういった話を「世界の一部である自己の認識」とか言い始めると、自然との一体化とか宇宙の意思への気づきとかなってきて、宗教や思想な面に言及し始めるとなかなかスピリチュアルになってきます。
 が、言っていることは至極まともですし、この点に辟易して耳を塞ぐこともないかなと思いました。本書では神秘体験やなにやら神がかりな話も多いのですが、話半分で見ればいいと思います(ていうか、よくビジネス書として発刊できたなぁw)。


 さて、「出現する未来」で語られるU理論とは以下の3つのフェーズをU型で示したものです。

- 下向き:意識の掘り下げ。世界の一部だという意識の高まり。
- 転換:物事の理解や、自己の認識の変化。出現しつつある未来の認知
- 上向き:世界の一部としての行動

 転換における「未来が現れる(プレゼンス)」という感覚が、なかなか難しいところですが、僕の感覚としては「気づき」というぐらいでよいと思っています。

 自分の論理としては正しいと思っていても、ふと他の人の意見が入ることでより大きな世界に気づき新しい論理が生まれる感覚。これは社会人として成長する上で経験していく大事なことでしょう。最初は自分の作業だけで必死なのに、次にチームを考え、組織を考え、会社を考え、市場を考えるようになります。最終的には自分の範囲を超えて大きなエコシステム(生態系)を考えるようになるはずです。
 こういったことを行なうためには自分の論理に固執しないで他人の意見を聞き、そこからゼロベースで創造力を働かせて論理を再構築することが必要になります。


 本書の後半に対処療法と原因療法という話で頭痛薬の例が出てきます。

頭痛がする時、アスピリンを2錠飲むのは、何の問題もなく、適切な方法のように思える。だが、頭痛が、職場や家庭での働きすぎが原因だとしたらどうか。この場合、薬を飲んで「症状を消すのに成功する」と、根本的な問題が隠されてしまう。根本的な問題に対処しなければ、事態はもっと深刻になる。仕事をさらに引く受けてストレスが笛、やがてもっと強い薬が必要になる。しばらくすると、薬なしで頑張ることなど考えられなくなる。

 開発の現場でも同じでしょう。開発が遅延したからプログラマを増員する。数字のマジックでスケジュールは元通りになりますが、根本的な原因、たとえば設計の致命的な欠陥や顧客との合意形成プロセスの欠如を覆い隠すことになります。やがて、さらなる遅れにつながり、より作業は増え、人が増え、ストレスは高まる。

 こうなってしまうと問題を解決するのは至難の業です。解決するためにやるべきことは単純です。ステークホルダーに共通の問題認識を持たせ、、悪循環の外側にある循環に対する気づきを行い、そして全員が行動を変える。ところが、これを実現するためには現状に対するロジカルな説明や最適解だけではだめで、なにやら信念などといったものが必要になります。もう本当にたいへんなこと。これははっきりと誰しもが感じていることでしょう。

 ITアーキテクトの役目は、こうならないために事前にアークテクチャを組むことです。リスクマネージメントから言えば、回避し、移転し、予防し、軽減する策を考える。そのためには、より大きなエコシステムとして開発を考えることが求められます。どんなに良い技術であっても、プログラマが使いにくかったり、顧客折衝の足かせなったり、運用時に拡張性に欠けるなら意味はない。
 

 なんか色々感じることがあるのですが中々言葉にしにくいですね。実際にはモデル化してパターンとして実行できる面も多くあると思いますが、でも、やはりより大きな世界への気づきというのが前提にないことには難しいはずです。考えさせられる本でした。

 

4062820196出現する未来
P. センゲ O. シャーマー J. ジャウォースキー
講談社 2006-05-30

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2006年11月01日 14:20に投稿されたエントリーのページです。

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