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門番を問いただす意味

 先日の情動回路で登場されていた河本さんに興味を持ち「哲学、脳を揺さぶる オートポイエーシスの練習問題」を読んでいます。いくつか面白いトピックスがあったので備忘録の意味も含めて書いておきます。


 カフカの小説「審判」に掟の門という短い寓話が出てきます。Googleしてみると出てきますが良さそうなものをあげておきます。3分で読み終わるので、ぜひ読んでみてください。

掟 の 門


 非常に複雑な読後感を覚えます。いくつかのブログの書かれている感想を読むと「勇気をもって門に入るべし。それを妨げるのは自分の気持ち。無目的な遅延に意味はない」といういった論調が多いようです。確かに農夫は自ら待つことを選択しているように見えるのです。


門番を問いただすことに意味があるだろうか
 河本さんは「門番を問いただすことに意味があるだろうか」という投げかけをしています。仮に農夫が「どうして門が続くことを知っているのか?」という問いをしたとします。せめて現状のつらさの原因が正しいのか知ろうとするのです。

 ところがこの後は「その次の門番がそう言っていた」「では自分で確かめたのではないのか?」、「際限がないのだから確かめようがない」「では、限りがあるかもしれない」、「しかし際限があると考える根拠はない」というように堂々巡りになります。

この問いは、門の際限なさを知ることに関わっているために、知ることだけが前傾に出てしまう。<中略>このタイプの議論は、際限なく続けることができ、実際行えばひたすらとめどもないものになっていくだろう。農夫は門のなかに入ることが希望であり、目的であったはずである。ところがこの会話は、門の中に入ることと別のことを議論し合ってしまっており、門番の言葉の正当性をめぐって議論している。

 このようなループに入ってしまう理由を

人間の言語や思考回路が「知る」ことに大きな比重をおいている以上、少しでも気を抜くと、こんな筋違いの思考回路に入り込んでしまう。

 だとしています。そして、

議論で門番を打ち負かしても、門についてはなに1つわかったことにはならない。ただ議論で相手を言い負かしただけなのである。あるいは本来の課題からそれて、議論だけが進み続ける。

経験が前に進むことと、議論に強いことにはほとんど関係がない。

 と指摘しています。


 相手を説得しても打ち負かしても何も前には進みません。本来の目的はあなた自身が前に進むことだったはずです。できない理由をあげる相手を非難したところで何になるのでしょうか?相手の悪いところを正確に知って、だからなんだというのです。

 そして、なぜ、その人の問題だとしてしまうのでしょう。「その人」は「その人」だけで生きてきたのですか?そうではありません。今の環境も、その人の一部です。その人の問題は、その人を含む環境、つまりあなたを含めた問題なのです。門番が農夫をバカにしているとすれば、それは門番自身も対象になるのです。


 この状況において変わることができるのは、あなた自身だけなのです。相手を変えるなどというオコガマシイ。

 変化は「経験」によっておこるのです。知識を得ても変化することは難しい。逆上がりは本で読んでもできるわけではありません。相手が体験してない事を、知らないのが間違っていると責めても意味がない。農夫が門番を責めても意味がない。

 では、どうするのか。幸いなことに人は疑似体験をすることができます。笑いかければ笑ってくれるように、あなたが経験していれば、相手も擬似経験してくれます。そのために、あなたは自らの経験を表現する必要性があります。それもまた体験の一部です。

 知らないなら知らないと言えばいい。どうしたら分からないなら、そういえば言い。恐れることはありません。それで何かを失うことなんて、まずないのです。


 最後に。この言葉は"あなた"に向けられたものです。あの人の話ではありません。あなたの話です。そして僕の話です。


4822245683哲学、脳を揺さぶる オートポイエーシスの練習問題
河本 英夫
日経BP社 2007-02-15

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コメント (1)

malius:

はじめまして
SOA、EJBといったIT技術を実ビジネスに適用するにあたってどういう点を考慮しなければならないかを探っている際にこのブログを見つけたものです。

単なる技術論だけではなく色々な面から物事を見られておりすばらしい内容だと思いました。

特にこの記事の内容はとても興味深いものでした。
「理性」「知識」の限界、そしてそれを乗り越えて未知なる世界に飛び出す不安・・・
深いものを感じます。

ITの世界にしても同じだと思います。
「知識」をどうやって「智恵」に変えていくか?「客観性の世界」と「主観性の世界」の違いをどう乗り越えるか?
ここにIT技術を実ビジネスの世界で成功させる鍵があると思いました。

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2007年04月15日 11:32に投稿されたエントリーのページです。

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