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日本の美意識

 建築家であり、プロダクトデザイナーでもある黒川雅之氏による八つの日本の美意識デザインの修辞法 50keyworks。デザインの修辞法も帯は「日本人は美意識に生きている」というわけで日本人による日本人の美意識の話。

 黒川氏は美意識という言葉を使うに言った理由を

私は、日本人が物事を判断する非常に大きな規範になっているのがこの美意識なのだということに思い至ったのです。すなわち、信念によってとか、神の思想に基づいてとか、哲学的視野からこれが正しいとか、善悪とかではない。もっともっと身体の感覚に近い、心地よさともいうべき美意識。ほとんど野生的、あるいは動物的生理が決めているということです。

 そして日本人は「美しさ・気持ちよさ」のために生きているのであって、神とか信念とか、そういうもののために生活を律するわけではないと。そのため日本人は他者の気持ちよさを価値として認められるから「恥の文化」になるし、一方、西洋は「罪の文化」になる。ちょいちょい過度な日本礼賛が鼻につきはしますが、全体的な指摘は面白いものがありました。


 八つの日本の美意識は「微、並、気、間、秘、素、仮、破」という8つのキーワードから美意識を紐解いています。どれも面白いのですが、僕が興味を持ったのが微と間。

 「微」というのは微細なるもの、つまり細部や部分のこと。日本では「微」に全体が宿ると。それを象徴しているのが都市の考え方です。日本では一般市民を巻き込むような戦争があまりおきませんでした。

日本では西洋に見られるような都市間抗争はなく、戦うのは基本的に武士だけで、農民が闘いに巻き込まれるようになったのは、十五世紀以降のことです。日本の城壁は文字通り、城や武士を守るだけのものであり、武士ではない民は、城主が戦に負けても、為政者が替わるだけした。

こうした環境では、都市はほとんど成立しません。家屋が中心で、その集合が「都市」というだけです。現代の都市、東京さえ集落でしかないのです。

 一方ヨーロッパでは隣接する者同士の戦争が多く、都市(や国)が身を守るためには城壁の中に人々は暮らさなくてはいけませんでした。そのため個々の建築よりも都市としての設計が優先されていました。

「全体の中に細部がある」とする西洋の考え方がよくわかるのが西洋の街です。西洋の街は建築の集合ではなく、「街を構成する街区」が先にあり、その「街区」というかたまりを分割して一軒ずつの建築があるのです。<中略>建築が初めから街並みをつくるために生まれたからなのです。

 僕の知り合いは「東京は家具の集合だ」と言われていましたが、まさにその通りなのです。では、日本では家がどのように建てられるのか。

ヨーロッパのような都市の概念のない日本では、好き勝手に、思い思いに家を建てているのかといえば、決してそうではありません。日本の建築は、他の建築を意識することで調和を保っているのです。建築が間合いを持ってうまく調和する姿は、恥じらいを持ってうまく他人と生活している姿と同じです。


 もう1つ面白かったのが「間」。

日本の家では、部屋とは呼ばないで、「何とかの間」といいます。「茶の間」、「客間」、「寝間」、「仏間」、「居間」がそれです。<中略>日本では、建築自体が柱や梁で囲まれて生まれる「間」として作られていたのです。建築の全部の空間が「間」そのものだったのです。それを屏風や襖で仮説的に仕切るのですから、西洋でいう部屋にはならない。仕切られた空間は流動的で非決定的で、その曖昧に仕切られて空間を日本人はちゃんと部屋と区別して「間」といっていただけなのです。

 こちらもなるほどです。「間が悪い」、「間に合わない」などなど「間」というのは良く使う言葉だなと再認識しました。


 一方のデザインの修辞法は50個のキーワードと共に黒川さんの作品が紹介されています。8つの美意識につながるキーワードもいくつか出ています。なんというか言葉が面白いです。で、一部ですが、

04 偶然性 : 積極的に偶然という原始の海に身を投じることで真実と自然の摂理に触れる

15 あかり : あかりは照明ではなく、遺伝子の中の記憶であり、胸の辺りに感じる暖かい物である。

17 豊穣なミニマリズム : 削除することで豊穣になる。シンプルにすることでディテールの密度が要求され質感が密実になる

18 負の創作 : 削除され寡黙になるデザインは削除されない饒舌なデザインに比べて受け取る側の想像力を刺激する。

21 原型 : つくるのではなく形が生まれるに任せながら、かすかに期待するとおりに存在の形を誘導する表現方法。

22 環境と物 : 人を基準に考える2つの存在形式。人と「覆う環境」はその外からは人にとっての「対象となる物」となる。

27 折りたたむ : 折りたたむとはその物が一枚の板や布や部品でつくられているこのであり、いつでも消えたり現れたりすることである。存在の仮設性と素のままの美意識が支配している。

29 影 : 影も素材も色彩ではない。素材とともに影の美は物の原点とも言うべき「存在」だけを語る。

39 構造 : 物は組織である。組織にはその構造がある。構造が組織の背後の思想や美意識を表現する。

 僕は39 構造にくらっと来ましたよ。そーなんですよねぇ。そこに思想や美意識が表現されるのです。

 8つの日本の美意識は200ページもないのでさっくり読める内容です。デザインの修辞法はぱらぱらとめくれる感じ。ま、作品集でありますが言葉のセンスが良いです。ちゃんとプロセスをたどりたい人は8つの日本の美意識を読んでみると良いと思います。


美意識のシステム開発!?
 さて、いつものとおりシステム開発の話。もう間違いなく、日本人に全体設計はできないことがわかります(w。UMLで示されている通り、西洋的な設計はアプリケーション全体を定義し、そこからサブシステム、各クラスと下っていきます。日本人はこれが苦手。クラスの関係性から積み上げてシステムを作っていくから矛盾の発生するし、アプリケーションの境目が曖昧になる。なんか思い当たりますよね?(w

 で、僕が考えているのは、こんな日本人だからできる設計手法というのを確立したいなと。SOAというのは実はものすごい日本的な発想ではないでしょうか。だから欧米人がSOAに四苦八苦している。ここで、どーんと日本人が「SOAはこう使え」とか言えたらいいなぁと思っています。

 これは「日本人がすごい」ということではなく、日本で育まれた文化がグルーバルに役立つのであれば、それは示していくべきだろうということです。もちろん、これが日本国の競争力にもなるのでしょうが。
 もう少し、僕らだからできることをやってみたいもんですね。


4062129639八つの日本の美意識
黒川 雅之
講談社 2006-07-22

by G-Tools

4763006142デザインの修辞法 50keyworks
黒川 雅之
求龍堂 2006-07

by G-Tools

2006/9/15追記: ご指摘により、日本における戦争の記述を引用に変更しました。

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コメント (2)

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なんだかデンパな本だなあ、と思った。「日本では一般市民を巻き込むような戦争があまりおきませんでした」というのが該当書の中にあったんだとすれば、依拠している論理は完全に破綻していると思う。ウソだから。たぶん、著者は高校で日本史をとってない。クロサワの映画も観ていないんじゃないかな。

凡百の「日本人特殊論」となんら変わらない気がする。こういうものに感化されてソフトウェア設計論にまで適用しようとするのは正直オススメできない。ルイセンコ学説と同じ轍を踏みますよ。

うーん、正確に引用すべきだったのかもしれませんが、
「日本では西洋に見られるような都市間抗争はなく、戦うのは基本的に武士だけで、農民が闘いに巻き込まれるようになったのは、十五世紀以降のことです。」
と書かれています(エントリも書き換えました)

例えばクロサワが描いた「7人の侍」は戦国時代なので、書かれている通り農民が巻き込まれています。というわけで正しいのかなと思っています。

この本、鼻につくところはありますし「日本人特殊論」は確かに危険です。ただ都市論や日本文化から日本人の思考のクセを知るのは悪いことではないと考えてエントリしました。

そこらへん事実誤認など、気になる点があればご指摘ください。

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2006年09月14日 12:00に投稿されたエントリーのページです。

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