携帯電話やインターネットでは、同時性や同場所性がないために、間がとれないし、感情が共有されにくいということです。良い例が、今のITコミュニケーションでは沈黙を遅れないのです。メールの交換やチャットなどをやっていても、機械が故障したとか、相手の状況が変わるような何かが起こったとか、いろいろなケースが考えられ、結局のところ沈黙なのかどうかわからない。
なるほどねぇ。リアルタイム性を強調しても、それがリアルな感覚を共有することにならないと。これはTwitterでも同じことですね。プッシュ型のコミュニケーションは送信がトリガーになってしまうので、こういう事態に陥りやすいわけです。
でも、暗黙のコミュニケーションができているなぁと感じたのがニコニコ動画。ニコ動では、沈黙に意味があります。コメントもなにもないところは、何もない、もしくはあえて間を見ていることがよく分かるのです。
見る人の時間が同時ではありませんが、コメントを使うことで時間に足跡が残り、非同時的に見ているのに、同時的な感覚を共有することができる。だからニコ動は盛り上がるし、見てて楽しいでしょう。
デジタル空間の中で、価値観や背景が異なるのみならず、面識もない多様な人々が出会ってコンテクストが共有されるためには、コミュニカビリティが支援されなければなりません。我々は「場のはたらき」をシステムに取り込めるかどうかがその技術的なブレイクスルーになるのではないかと考えています。お互いの異なる場をいかに統合するかということが、大きな問題になってくる。
この場合の「場」は清水博さんがいうところのもの。ニコ動はニコ動という場を用意し、そこに時間差を解消するようなコミュニケーションを取り込みました。さらに次に進むためには、異なる場を前提とした上で、それをつなぐようにする必要があるということかな。
あらゆることをスケールさせ、コピーするのがデジタルの力。デジタルは、すべてを伝えるわけではないけど、その可能性を無視してもいけない。アナログとデジタルの間は、これからも面白そうです。
あ、ちなみに本は題名どおりデンパな部分もありますが面白かったですよ。時間があれば、もう1個ぐらいエントリしたい。
![]() | ヒトと人のあいだ (シリーズヒトの科学 6) 野家 啓一 岩波書店 2007-06 by G-Tools |

