今年のデブサミ2008で、ジョエルを抑えて満足度1位を獲得したランドスケープデザイナーの石川初さん。最近のエントリが面白すぎる。
最近、Googleマップの空撮が普及して、上空からの高解像度の写真を眺める機会が増えるにつれて、建物の屋上が街のバックヤードと化していることがよくわかる。特に都心部にはほとんど「屋根の景」がない。空調の屋外機が延々と並んでいる光景は、自動販売機を後ろ側から眺めているみたいなおもむきだ。これが、都市のスケールでは、「海岸」がでかいバックヤードになっている。高度に近代化した都市の港湾の「海側からの眺め」というのはほんとに、都市の「裏側」である。きっと、沿岸の「栄養源」から「物資の流通媒体」へと、海岸がその価値を転換させたときから、海側は巨大な荷捌き場になっちゃったのだ。
(建築学科の学生に地図を見せて『なにか変なことがあるか?』という問いに『分かりません』と応えられて、)いや、変だと思えよ。びっくりしろよ。建築学科だろうがよ。ずれたグリッドが衝突して、その接点のヘタ敷地に無理に建ってる施設の様子とか、鉄道線にブチ断たれた街区の痕跡とか、丘の上に新しく開発された集合住宅へのアプローチ道路の地形との戦いぶりとか、団地をジグザグに横断する市域境界線とか、そういうのに「ん?」と引っかかるメンタリティを持てよ。それで現地へ出かけていって2度びっくりしろよ。街の風景に驚けよ。多くの人が見過ごしたり見慣れたりしている何気ない街の様子に、引っかかったり驚いたり怪しんだりできないと始まんねえよ。たかだか20年間で育んだおまえの「あたりまえ」なんて全然だめでショボいことを思い知れよ。「デザイン」なんてそっから先だよ。
そして、PingMagに掲載された地形学的な観点から見た東京。
地図は、人が同時に二つのレイヤーを見るという抽象化の概念です。地図とは非常に抽象的かつ現実的なもので、人間の想像力はその間を行ったり来たりして、この図形をどうにか現実世界に結び付ける。それが地図の本質だと思います。
いいなぁ、たまらないなぁ、すげーな、こういう感性。空撮写真見てて、そこに都市のバックヤードを見つけるんだよ。<多くの人が見過ごしたり見慣れたりしている何気ない街の様子に、引っかかったり驚いたり怪しんだりできないと始まんねえよ>っていう、くだりまんま。
ソフトウェア・デザインも一緒。ユーザーの言葉を聞くときに、自分が持っている「思い込み」を避けていかないと良いモデルにならない。そのためには、頭の中でモデルを*動かして*みて「ん!?」って思えるようにならないと。
モデリングとは要求定義を聞いて言葉と言葉の関係性をとらえていくこと。データの蓄積方法、トランザクションの粒、ユーザーとのインタラクション。そういうことを考えながらモデルを整理する。
そして自分でコーディングしてみる。複雑すぎてアプローチできない構造や、単純すぎて応用力のない構造なんてのは、設計してみて、コーディングして動かさないと分からない。スパゲッティーになったり、コピーばっかりになったり、そういうことを経験して学んでいく。
そのうち頭の中で考えたモデル達が、コーディングしないでも動くようになる。どんなにきれいなクラスが設計できても、コラボレーションできなかったら使えない。だから、頭の中でモデルを動かせるようにならないと設計として意味がない。動かないモデルは、ただのお絵かき。
ここまで来れば、ようやく一人前。
僕らは虚像を相手にしている訳じゃない。現実を理解し、動かすためにモデルを使っている。地図が持つ力と似ていると思います。というわけで、テンプレ引用。
<モデリングとは非常に抽象的かつ現実的なもので、人間の想像力はその間を行ったり来たりして、このモデルをどうにか現実世界に結び付ける。それがモデリングの本質だと思います。>
