西村佳哲さんへ
こんにちは、鈴木雄介です。お久しぶりです。お元気でしょうか?著書『自分をいかして生きる』を拝読いたしました。まえがきに「長い手紙のようなもの」と書かれていましたね。手紙を頂いたからにはお返事しなくてはと思い、筆を取った次第です。
本を読んでいて、私自身が従来から感じていたこととリンクすることがありました。まずは、そういったことから書いていこうと思います。
最近の本屋には、やたらと「思考法」や「仕事術」の本が増えています。
僕も思考法やら仕事術やらは好きです。ただ、それは自分と対話し、自分の直感を引き出すために使うべき物だと思っています。思考法を、自分の直感に反して自分自身を社会構造や他人とのコミュニケーションに合わせるために使うのは良いことではないと思います。西村さんが指摘されていたように大きくなりすぎた複雑な社会に対して、自分を適応してしまおうとするのです。
多くの思考法や仕事術が目的としているのは"効率化"のようです(中には違うのもあります)。効率化するとは、社会的な標準よりも効果をあげることです。もっとも象徴的なものが"ライフハック"や"ブレインハック"と呼ばれる仕事術でしょうか。今の自分自身をHackして効率的な方法に合わせていこうとするわけです。自分自身が快適と思えるリズムを超えてチューンされてしまうとしても。
先日、トヨタ生産方式を導入している業務機器の生産工場にお邪魔しました。確かに効率的に生産が行われていましたが、そこで作業する人々はちっとも創造的には見えませんでした。当たり前ですよね。同じモノを精度良く効率的に作るのが生産方式の目的なわけです。作業を考えることは創造的ですが、作業そのものが創造的なわけではありません。
効率化する手法を考えることは創造的ですが、効率化された作業は創造的ではないのです。だとすれば、世にある思考法やら仕事術を、そのまま受け入れることは創造的なのでしょうか。そうではなくて自分で効率化する手法を考えることが大事なのではないでしょうか。
少し話題を変えます。
インターネットに触れていると「実は○○だ」とか「裏では○○が起きていた」といったような話を見かけます。陰謀説はとても魅力的です。魅力的すぎて、まるでそれが真実であるかのようにさえ思えてきます。自分が見たわけでも、触ったわけでもないのに。その点ではマスメディアが暴いてきた(とされる)"裏側"や"ゴシップ"と、ある意味で全く同じことでしょう。人々は秘密の物語を楽しいと感じてしまうのです。
しかも、そうした魅力は自己強化する形で増幅していきます。ある実験では、対立的な主張を持つ2つのグループを集め、個別に交流させて議論した場合と、それぞれのグループ内で議論させた場合で結果を比べたそうです。グループは多様ですから、最初は逆のグループと折り合う可能性も含めた意見を持つ人々がいます。ところが、それぞれのグループの中だけで議論させると、その主張は研ぎ澄まされ、やがて相手と折り合わない領域まで達してしまうそうです。人は見たいものだけを見るし、聞きたいことだけを聞くのです。
もちろん、僕自身も陰謀説は大好きなようです。先日の選挙の後、僕はインターネットで自分の意見と合うような記事ばかりを見ていることに気付いて笑ってしまいました。近しい友人のある発言が意図せずそれに気付かせてくれるまで、僕はそれが世界の全ての意見ように感じていたわけです。
また、話題を変えます。
最近、やたらと「アーキテクチャ論」というものを聞くことが多くなりました。ここで言うアーキテクチャとは、建築のアーキテクチャやITにおけるソフトウェア/ハードウェア・アーキテクチャだけではなく、社会や組織、あるいは政治、経済までも含むような広い概念に対して「目に見えないが存在する構造」ようなものとして定義されています。
こうしたアーキテクチャは環境的に動作し、人々に気付かれない内に人々の行動に影響を与えます。有名な「マクドナルドの椅子が堅いのは回転率を調整しているからだ」とか「NYで犯罪が減ったのは割れた窓を減らしていくことで心理的に治安を向上させたからだ」といったようなことです。
経済では、なんらかの価値を算定し、それを金銭的な対価によって成果を上げるような仕組みが導入されています。有名なのは二酸化炭素排出量の規制するための排出権取引です。定められた排出量に規制ができなければ、他者からお金を支払って排出権を買うことができるのです。これは意図させないわけではありませんが、広義にはアーキテクチャ的な動作と言えます。
こういったものはエコシステム(生態系)と呼ばれています。生態系のように関係が関係を呼び、それを俯瞰する全体がシステム化されている。弱肉強食の世界では、捕食者である肉食動物であっても、死ねば身体はバクテリアに分解され、やがて土となり被捕食者である草食動物を育てます。そうした自然の摂理に経済活動が喩えられているのです。
しかし、そういった自然の摂理は誰かが創り出したものではありません。自ら然るべく成ったものなのです。
僕自身、ITのアーキテクトを自認し、そのような肩書きで仕事をしています。僕が創り出しているものもアーキテクチャなわけです。僕は神のように全知全能ではありません。そんな僕が作ったアーキテクチャは(仮に意図が善いものであれ)正しく機能するのでしょうか?
西村さんの本を読んでいる内に、こうした思考法や陰謀説といったものは、現在の社会自身が選択した自浄作用ではないかと思えてきました。
思考法では、個々が自ら納得する方法で自己暗示的に社会に適合していくわけです。マスメディアの凋落によって単純なゴシップの効果が薄れている今、インターネットの陰謀説は意見を管理する方法として有効な気がします。
これは短絡的過ぎる見方だとは思いますが、あながち間違っているわけでもなさそうです。西村さんが書かれているように、アーキテクチャ的な管理社会では奴隷はいないが奴隷的なヒトは増えています。お金に代表される価値算定と交換の仕組みは多様性を許容しつつ社会を進歩させる良い手段となりますが、その前提には"ナニカへの信用"が必要で、それが集団幻想でしかなくてもゲームからは降りられません。金融危機は幻想が現実に耐えられないために発生したということでしょう。元々、幻想を見ていたという点では昔からあった問題なのです。
とまぁ、悲観的なコトばかりを書いてきましたが、これ以上、難しいことを考えるのはやめようと思います。現状がそうであるということは分かりつつ適度に諦めているしかないのです。
人間工学や認知心理学からすれば、我々を囲む全てのモノはアーキテクチャ的であると言えます。より使いやすいモノにはデザイナの意図が含まれるのです。歴史から生まれたとされるモノ、例えばフォークのようなモノであれ、最初には意図はあったのです。積み重ねられた意図が歴史となり、それが自然の進化と区別がつかないなら、見えない意図を怖れるのは人類の歴史を否定するようなものです。全ての人が巨人の肩に乗っているのです。
モノには善いモノもあれば、悪いモノもある。ですが、そのモノが善いか悪いかは後になってしか評価されません。生き残ったモノだけが適応したと褒められるのです。だから、評価されるモノをフォローを続けていたとしても、これからの未来に適応することはできません。西村さんの書かれた次の言葉に強く共感します。
どんな結果を得るにせよ、優れたフォロワーであるより、つまり他の誰かさんみたいになるより、自分自身を社会に差し出してみるほうが、少なくとも後味はいいんじゃないかと思う。
大事なことは未来を怖れるのに意味がないと言うことです。西村さんもジョブスのスピーチを引用されていますが、僕は次のくだりが大好きです(スティーブ・ジョブズの感動スピーチ(翻訳))。
未来に先回りして点と点を繋げて見ることはできない、君たちにできるのは過去を振り返って繋げることだけなんだ。だからこそバラバラの点であっても将来それが何らかのかたちで必ず繋がっていくと信じなくてはならない。自分の根性、運命、人生、カルマ…何でもいい、とにかく信じること。点と点が自分の歩んでいく道の途上のどこかで必ずひとつに繋がっていく、そう信じることで君たちは確信を持って己の心の赴くまま生きていくことができる。結果、人と違う道を行くことになってもそれは同じ。信じることで全てのことは、間違いなく変わるんです。
だから、僕は自分が楽しいこと、ワクワクすることやっていこうと思います。まずは自分自身が直感的に気持ちいいことを大事にしたい。信じていたい。西村さんが書かれているように、それが「自分の仕事を"創る"」ことであり、「自分を"活かして"生きる」ことだと思います。
そうそう、最近、Twitterのハマっています。とても面白い仕組みです。面白さの源泉は2つ。1つ目は自分が言葉にすることで思考できるから。思考は言葉によって(依って)しか表せません。呟きという形にすることで自分の考えが形式化し、自分自身に学びを与えてくれます。西村さんが「自分と自分自身の対話が重要」と書かれていましたが、今の僕にはTwitterが非常に優れたツールです。
2つ目は人の素が出やすいことです。フォローしている人のツブヤキはとても面白い。掛け合いになると、それは何倍にもあります。リアルタイムに近いので素が出やすい。そこで尖った意見交換ができると、とても満たされた気持ちになります(西村さんを紹介してくれた石川初さんもTwitされていますよ)。
これはデザインだなと思います。インターネットの上に創られた新しいデザイン。西村さんの『世界経験のデザイン_"世界"に"ユーザー"はいない』の言葉を借りれば、「Twitterユーザーはいない。ただ、Twitter(ツブヤク人々)がいる」のです。
前述のエントリに書かれている西村さんの言葉は僕のバイブルです。
デザインとは色や形ではなく、人の世界観を拡げる仕事でしょう?
その通り。そういったものを創りたいです。それがアーキテクチャの持つ力なのです。僕はアーキテクチャによって人々を管理したいのではありません。アーキテクチャによって人々の世界観を拡げることができたら、どんなにステキでしょう。
もちろん、手段として善い面も悪い面もあるはずです。僕が創り出したモノが、もしかしたら、多くの人に迷惑をかけてしまうかも知れない。これはものすごい恐怖です。社会で生きるからには他人からの評価を気にしなくてはならない。
でも、僕はどうしようもなく、こうした仕事をしてみたいのです。それが僕の生きる力なのです。僕はソフトウェアを作ることがたまらなく好きで、当事者でいないとダメなんです。
『自分をいかして生きる』と読んで、そして、このエントリを書くことで改めて自分の思いを感じることができました。ありがとうございます。またどこかでお会いして、ゆっくり話をしてみたいです。
鈴木雄介
追記:お話しするよりも何よりも、いつか西村さんと一緒に仕事ができることを心から望んでいます。
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