相変わらずTwitterに文字ドロボーされていて更新が滞っております。さて、カワイイパラダイムデザイン研究という建築本が面白かったので、いつもどおり書評になってない、ただの連想エントリです。
「かわいい」という言葉は良く聞くでしょう。それどころが、なんでもかんでも「かわいい」で済まされてしまう。そんな言葉の出現も時代の流れであろうと本書では説きます。
言葉が軽くなっている。
しかし、それを危機だと煽り立てるわけではありません。
言葉が思考の対象や手段である時代は終わり、言葉の媒介性が「建築」にとって欠かせない時代は過ぎた。言葉は嗅ぎ分けるてゆくものになってくる。ここで必要になってくるのは、言葉に対する感性であり、感性の言葉ということになってくる。言葉に対して、身体が反応する、つまりは、言葉の理解が身体的になってきたのだ、と思う。言葉が頭に留まる、のではなく、言葉が身体を共振する。
つまり、観念を操り抽象を表現する小難しい言葉から、より言葉が原始的になってきている。その代表が「かわいい」。そんなパラダイムをカワイイパラダイムとして定義しています。
感性の言葉は、その言葉だけで自立し得ません。何かモノがあって、それを感性の言葉で表現することによって人と共有することが大事です。「アレがかわいい」とすることで初めて成り立つ。それは対象物がかわいいかということではなくて、他人と"かわいいと感じた感性"を共有することに意味がある。だから、かわいいことに論理性は説明は必要がありませんし、明確な定義もいりません。だから、なんでも「かわいい!」になるわけです。
以前も書きましたが、多様なモノが大量に溢れる現代においてはモノを購買/選択する行為がアイデンティティの獲得に繋がります。モノと離れて自我が存在し得ないとすれば、モノを通じたコミュニケーションが主体となるのはある意味で当然なのかもしれません。モノという明示的な存在が誰にでも手に入るなら、それを見せるのが一番楽。だから、言葉が"自己と対峙したモノへの解釈"ではなく、"モノによって自己を表現するための補助"になっていくとも言えそうです。
さて、カワイイの対立軸として上げられているのがモダンデザインです。
モダンデザインはこれまで理性による合意形成を前提としたコミュニケーションの上に成り立つデザインであったモダンデザインの第一原理ともいえる機能と形態との関係。モノの機能性を検討していきながら、モノの形態を追求していく。そこには、絶対的なモノの機能性という指標が厳然としてあって、形態はそこから決まってくる。これが「形態は機能に従う」というモダンデザインのドグマになってきたものだ。
そこには明確な合理性があります。モダンデザインの代表ともいえる流れるような美しいエアロデザインは流体力学を元に作られています。流体力学に従っていることにカッコイイを感じるのです。これが理性による合意形成です。ところが、
カワイイデザインでは機能から形態へと直線的に移行するものではなく、機能と形態の間に、一旦、「使い手」を想定した感覚共有の場面を描き出して、望ましい形態に収めてゆく。つまり、「使い手」とデザインを通じて、どのように感覚共有が図れるか、を主題化してゆく
となるわけです。モダンデザインでは感性よりも論理が優先されました。でも、カワイイは感性だけなのです。なんとなく、でいいんです。むしろ、その感性を感じられるか。
では、話をITに引き寄せましょう。
ご存じのようにITこそ「言葉で観念や抽象を操る」ものであり、「形態を機能に従わせる」ものであり、「理性の合意形成」が大事な産業です。それって、まさにモデリングですね。本書が指摘するような状況が起きているのであれば、日本人はモデリング力がどんどんなくなってくるわけです。
じゃ、それがダメなのかというと時代の流れであれば逆らってもしかたない。もちろんモデリングは変わらずに重要ですが、お客さんをはじめ、世の動きがそっちにいくなら、ある程度は感性の言葉を受け入れていく"カワイイIT"が考えられないものでしょうか。
一方でカワイイITを積極的に目指すべきとも感じます。情報システムの利害関係者は増え続けており、ビジネスの状況はどんどん複雑になっている。そんな状況で、今後も"理性の合意形成"を貫くことはできるのでしょうか。もはやツリー構造できれいに戦略マップが引けるような時代ではないのかもしれません。
であれば、多様性や曖昧さを受け入れてシステムをペットのように育てていく。完璧である必要はないくて、むしろユーザーに使われることで完成していくような、かまってもらえるようなシステム。そのためには理性の合意ではなく、それを超越した「かわいい!」で共感してもらうことが重要ではないか。いや、直球でかわいい必要性は無いんですよ。画面をピンク色にしろとか言っているわけではありません。
じゃ、カワイイITって何ですかというと、前述の「『使い手』を想定した感覚共有の場面を描き出す」という所に尽きるのでしょう。最近、ずっと書いてますが作り手の視点から離れて、使い手の視点になることです。そして「これって共感できる?」という問いかけをしていけばいいと思います。
ちなみに感性が重要だからロジカルシンキングがいらないというわけではありません。考える力は重要です。でも、必要以上にロジカルになることもない。世の中、割り切れることだけではありません。最終的にはスペックは明確にしないと実装はできないので、どこかに落とさないといけないのですが、その後の変更は許容すべきでしょう。
あまり結論めいたこともないですが「カッコイイITからカワイイITへ」なんていう流れはあると思います。常に時代は変化しています。世の中に目を向けて、より世に役立つソフトウェアを創っていきたいものです。
![]() | カワイイパラダイムデザイン研究 平凡社 2009-09 by G-Tools |

