弾言されて買ってしまった平成人(フラットアダルト)。平成生まれが成人(20歳)を向かえ、フラットな意識をもった成人たちが闊歩する。名づけて「平-成人(フラットアダルト)」。誰がうまいことを言えと。
その中の一文。
そもそも テクノロジーとは「交通と分業の技術」と要約することができる。つまり情報技術の発達によって「交通の技術」が発達すれば、必然的に「分業の技術」も発達するのである。テクノロジーとは、これら2つの技術の相乗的な発達に他ならない。
そうじゃない。テクノロジーは「交通と*協業*の技術」なんだよ。
「 分業」は孤独な作業。明確にされた全体像を部分に分けながら進めていく。
「 協業」は創造的な作業。ビジョンに向かって部分を積み上げて進めていく。
テイラーの時代から科学的管理法は"今ある作業"を分解し計測することで改善を繰り返してきました。分けていくことが効率化であり、プロセスのボトルネックをなくしていく手法だったのです。
もちろん、インターネットにそうした効率化の側面があることは間違い有りません。グローバルフラットな世界は情報流通に革命をもたらし、グローバルサプライチェーンによる世界規模の分業を実現することができました。
一方で、これまで出会えなかった才能が情報流通を通じて出会い、新たなマッシュアップを創り上げているということも起きているのです。デジタイズされた知は、アナログ的な多くのモノを失ったけど、距離を時間を超える可能性を手に入れました。「ITは効率化の道具か、新たな可能性を切り開く希望か」というのと同じ。
なんだか、こういう視点でインターネットを語られるのは残念だなぁ。梅田さんが書いているけど、
オプティミズムとは、まったくもって「意志」の問題なのである。死や病を免れ得ない人間にとって、悲観主義こそ「自然」で「生来」なものなのであって、オプティミズムとはそれを超えていく意志のことなのである。「これから直面する難題を創造的に解決する」ためには、我々一人ひとりがオプティミズムという「意志」を持つことがどうしても必要不可欠なのだ、ということを、僕はいまも相変わらず言い続けたいのである。
本の感想としては、批評的であることはよいけど前向きじゃないのが嫌い。ただ、以下のような切り口は良いかもね。文明論というなら、もう少し掘れるところがあったのでは。
私たち「平成育ち」は、「昭和育ち」の若者のように理想を抱き「絶対的な価値を追い求めてきた」のではなく、自己を取り巻く「相対的な価値を絶えず気にしてきた」のである。「平成人」とは<中略>このような世界の中で、「段差」のない「平(フラット)」な価値感を持ち、Eメールやmixiのようなツールで、「平(フラット)」な人間関係を構築・管理しながら活きている同時代の人たちすべてを意味する。
![]() | 平成人(フラット・アダルト) (文春新書 (611)) 酒井 信 文芸春秋 2007-12 by G-Tools |

