なぜデザインなのか。は、無印良品のボードメンバー、松屋銀座のリニューアルなど多才な活躍で知られる原研哉さんと、ECを中心に活躍するアーキテクトデザイナーの阿部雅世さんの対談集。デザインに深く携わってきた二人だからこその言葉が多いです。
印象的だった言葉を。
阿部:<中略>デザインというものを自分なりに日本語に翻訳した時に、「生活文化をつくる仕事」というふうに訳してみたらどうかと思ったんです。質のいい建築やデザインの仕事をするためには、それ以前に、質のいい暮らしをするためには、自分自身が、文化に支えられた生活をすることが必要ですね。自分の生活を支える哲学を豊かにすることがたぶん必要で。
生活文化という言葉は、ある世代から下には新鮮に映るものではないでしょうか。伝統ほど重苦しくない、リアルに自分たちの生活の中に存在しているもの。「自分の生活を支える哲学」によって育まれるものが生活文化で、それを具体的な形に落とし込むのがデザインの仕事。
確かに豊かな暮らしをしている人が、食べ物から家から服装から、何か1つの方向性に向っていることが分かります。それは自らの生活において信ずる哲学を貫徹し、背筋が伸びた生活をしていることが要因なのでしょう。逆に、いくらお金を持っていても哲学なき生活は秩序なく貧相に見えてしまう。
原:<中略>ものやコミュニケーションを通して、錬度の高い合理性に、ひとりひとりが目覚めていくことがデザインの理想ではないかと。ひとつのコップの中に内在する知恵の連鎖に気がついていくことで、感覚的に世界がバランスされていく。<中略>「感覚の平和を目指して世界を調停していく力をデザインと呼ぶ」と。だから経済のことも、単にマネーの量に帰してしまうといびつさを生むのだけれども、デザインの中にはそういういびつさを緩和していく作用がある。
僕らが日々意識しなくても、より高い合理性を目指すためにする行為をデザインと呼ぶ。そこで作られたものを通じてコミュニケーションすることが、自然と合理性に向かうようになっている。であれば、それを極限に高めた先にあるのが感覚の平和なのかもしれません。
一方で、その高い合理性がバランスが取れているのか。その高い合理性すらも、より高い位置からは自己満足に過ぎないのではないか。そうやって自分の感覚を広げていくことが人間として大事な能力だと感じます。
デザインという言葉が益々好きになりました。
![]() | なぜデザインなのか。 原 研哉/阿部 雅世 平凡社 2007-10-02 by G-Tools |

