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アルゴリズムは世界を表現するのか

 週末は『「エレメント」構造デザイナー セシル・バルモンドの世界』を見に行ったり、『アルゴリズミック・アーキテクチュア』を読んだり、建築系ラジオの『アルゴリズミック・デザインをめぐって(2) (3) を聞いたりしてました。

 こうした議論を通じて、建築家という人達がソフトウェアやコンピュータの可能性についてどう考えているのかを知るのは楽しい体験です。建築家は"社会的な問題を発見し、構造物によって解決するように訓練をされた職業人"です。そういう人々がソフトウェアをどう捉えているかを知るのは、ソフトウェアと社会の関わりを考えるための大事なプロセスと感じています。

 なお、ここでいうソフトウェアの可能性は"計算"のためのものではありません。建築では建物を立ち上げなきゃならん(しかも、崩壊しないように)という分かりやすい制約があるため構造計算としてのソフトウェアの利用は重要です。

 ですが、ここでは"意匠"に関わる部分を考えます。意匠とは「物品(物品の部分を含む。)の形状、模様若しくは色彩又は これらの結合であって、視覚を通じて美感を起こさせるものをいう。(意匠法2条1項)」という定義ですが、もう少し広くとれば建物の社会的な意味や社会との関わりを表現したものになります。

 先に言っておきますが、意匠におけるソフトウェアの利用を「鉄筋コンクリートとガラスという形態自由度の高い素材を手に入れた後のトリックアート的な要素に過ぎない」とか「所詮はアナロジーのネタに尽きただけの亜種」とかいうような面はある気がしますが、本質的ではないので省きます。


アルゴリズムが生み出すもの
 本題。キーワードは「アルゴリズム」です。Wikipediaによれば「問題を解くための効率的手順を定式化した形で表現したもの」。

 コンピューターは人間にはできない精度や量の処理をこなすことができます。コンピュータの仕組みは、入力データに対して"プログラムによって定義されたアルゴリズム"が処理を行なうことで出力データを得るというものです。つまり、アルゴリズムには問題を解くための手順であると言えます。

 逆に言うと、アルゴリズムを組むためには問題をプログラミング可能な形式に変換する必要があります。これはモデル化という作業です。

 さて、建築の設計は、様々な要件(顧客にとって自覚的であるかは関係なく)に対して建物という答えを提示します。これを「入力(要件)に対して出力(建物)を得る」と理解すると、過程をアルゴリズムとして位置づけ可能になります。このようにデザインそのものをアルゴリズムに見なすというあたりがポイントです。

 セシル・バルモンドの展示では、自然の形態に着想を得たアルゴリズムによって問題の解決が図られています。花のような競技場、互い違いになっている橋、無数のキューブで作られた美術館など、なんともいえない魅力に溢れた構造物ばかりです。

 自然の形態は一見すると複雑でも裏側にある法則はシンプルなものであることが知られています。複雑系、フラクタル、カオスといった用語は聞いたことがある人も多いでしょう。そうした法則はソフトウェアで扱うことができ、アルゴリズムとして表現が可能です。展示には作品例も出品されていますが、入力されたデータからアルゴリズムによって複雑な構造が段階的に作られている、しかも、それが現実に構築可能であるというのは実に興味深いものです。

 こうした議論は世界の近似としてソフトウェアが利用可能であることを示しています。『アルゴリズミック・アーキテクチュア』では、アルゴリズムを人間の思考と同等のパートナーとして捉えるような概念を提示しています。


アルゴリズムは世界を表現しない
 では、本当にソフトウェアは世界を再現できるのでしょうか?

 僕はできないと考えています。モデル化は人間が環境から意味を取り出す行為です。意味やモノが環境に直接存在するわけではありません。意味やモノは環境から情報を取り出した人間の中に存在します。つまり、ソフトウェアが近似として表現している"世界"というものは、その人の中に構成されている"世界観"というべきものです

 ですから、ソフトウェアは決して構築者を超えることができません。超えているようにみえるのは、人間が無意識にモノゴトを分けたり、省いたり、集約したりしてしまうクセに影響されずに、ただ生真面目に処理を実行しているからです。

 『アルゴリズミック・アーキテクチュア』は、概念としての整理法は面白いのですが、ちょいちょい矛盾があり、人間中心的な言説があるので読むのに注意が必要です。その点をさっぴけば興味深い本だと言えます。


モデルと現実のギャップを埋める手法
 さて、ソフトウェアが世界を再現できないなら、なぜモデルを使って現実の建物をデザインすることができるのでしょうか。

 それはモデルと現実のギャップを埋める作業をしているからです。

 建築の施工過程は、抽象化された設計図と現実のギャップを埋め、そこで発生する自然の揺らぎを管理する体系的/形式的な手法として確立されています。例えばコンクリートがちゃんと必要な強度に固まるように流し込むテクニックとか。そういった現場レベルの抑えが効いているからこそ、モデルが現実の建物になることができるのです。

 余談ですが、ソフトウェア業界でも、同じようにモデルを取り出し現実での構築を行なっていますが、その結果は悲惨なものです。これは建築の施工のように、モデルと現実のギャップを埋めるための体系的/形式的な手法が確立していないと考えるのが正しいでしょう。この確立は時間のかかる作業です。建築だって数千年かかっているわけですし、まだ、50年程度の歴史では難しいのです。


建築とソフトウェアの対話
 というわけで、思いつくままにソフトウェアと建築の関係について書いてみました。いろんなところを端折り過ぎで意味不明なところもあると思いますがBlogなので勘弁してください。

 僕にとって建築業界は憧れの対象です。建築のような教育体系がソフトウェアでも充実してくれば、もうすこし社会意義のあるソフトウェアが増えるのではないかと思います。100年かかる話だと思うので、僕が死ぬまでにきちんとした大学ができれば十分でしょう(そこに関わるのが、僕のささやかな夢です)。

 なんにせよ、建築業界とソフトウェア業界は、もっと互いに語り合う機会も言葉もたくさん持つべきだと思います。その機会の1つを近いうちにお届けできる予定です。


4395009077アルゴリズミック・アーキテクチュア
田中 浩也
彰国社 2010-03-10

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2010年03月07日 19:39に投稿されたエントリーのページです。

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