mF247の丸山さんが 丸山茂雄の音楽予報で紹介していた表現の自由vs知的財産権―著作権が自由を殺す?を読みました。なんでしょう、ふつふつと怒りが沸いてくる本です(w。
内容は音楽業界を中心に知的財産権の乱用がいかにクリエイティビティや発展を阻害しているのかを痛烈に批判したものです。そもそも
著作権の独占権は、まず何よりも、新たな想像を刺激する事によって社会に利するためだ
としており、
ある個人や企業に対して、特別の私的利益を提供する事ではないのだ。
なわけです。そして、本来は、
「許可が限定されているのはむしろ、重要な公共目的が達成されるためなのである」とスティーブンスは書いた。「特別な報酬を与える事で著作者や発明家の創造的活動を動機づけること、一定の期間の後に排他的権利を解除することでその霊感が生んだ作品に公衆がアクセスできること、を意図している。特許と同様に著作権でも、権利保持者に報酬を与えることは二次的なことにすぎない」
ということになります。しかしながら、
アイデアを自由に交換することが、知的財産権の強化によって不可能になるのではないか、その結果創造性や人間精神に悪影響が出るのではないか、これがわれわれが直面しているリスクなのだ。
となります。
そもそも芸術や学術は、他の作品/研究にインスピレーションを受け、インスパイアされることで発展してきました。「真似をする」「利用する」という行為は、元の作品/研究への尊敬です。人間誰しも一人で発明や発見が出来る訳ではありません。
本では、このような情報の流通促進による経済観を贈与経済(原文ではthe gift economy)という表現をしています。
文章(および著作権)をジャーナルに贈与することによって、自分たちの研究領域が豊かになると理解されてきたのだ。知識が同分野の学者に共有されることで、学者は名声を得、それに伴って収入も増える。これは贈与経済における「循環的な報酬」の、古典的な一例といえよう。
しかし、現在ではこうした研究が私有化され、学術情報に値段がつくようになりました。結果として、
知識の普及と言う教育の最も基本的な使命さえも危うくなるだろう。
と指摘しています。確かに情報は価値であり、そこに値段を付けすることで 利益を上げることは可能です。しかし、値段を付けることによって、その情報そのものの価値が広まらないことは、長期的視点で見たとき、そうした情報の価値を低めることになる気がします。
表現者の話ばかりかきましたが、それを利用する顧客側の話もたくさん書かれています。インターネットでのダウンロード試聴がなければCDなんて買わないとか、結局CDを買ってもアーティストに還元されないとか、これもまた大きな構造的問題です。ここらへんを書き始めるときりがないのでやめておきます(w。
何度も書いているソフトウェアのコモディティ論はまさに贈与経済を感じさせるものです(エントリ:ITは重要ですか?)。一部のメジャープレイヤーが決めたことではなく、周辺のユーザーがシェアしながら自発的に作り上げたもののほうが良いものになり、その作者は様々な形で報酬を得ることが可能になります(結局、Linuxで儲けたのは誰なんだとか、問題がないことはないですが方向性は正しいはずです)。
SUNが提唱する「The information age is over. Long live the participation age.(情報の時代は終わった。参加の時代にいる)」というのはわかりやすいスローガンです。SUNはJavaの実践的な教育に特化して、教育コンテンツをオープンに集積しようというJEDI(Java Education & Development Initiative)プロジェクトを立ち上げており、フィリピンなどで成果を上げているようです。またオープンソース化にも積極的です。
僕自身も短期的な視点ではなく、より長期的な視点での贈与は行いたいなと考えています。ま、個人的な経験で言えば雑誌への寄稿や講演は、なんといっても自分の勉強になります。僕のようないい加減な人間は、そういう機会に情報を詰め込むことで面白いアウトプットを出すことが出来るようです。
本書の出来ですが、途中で出てくる事例が多すぎて若干だれますが、筆者の熱い思いを感じる事ができます。メジャーレーベルに怒りを感じたい人はぜひどうぞ。なお英語版であれば著者のサイトから全文をダウンロードする事ができます。
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