先日のエントリ「スクラムは現実解」でアジャイル開発手法のスクラムについて紹介した。
実はスクラムには1つの批判がある。スクラムの中心的に進め、チームを鼓舞し、支える役割であるスクラムマスターの適性が大きな影響を与えるというものだ。スクラムマスターがスクラムを理解できなければスクラムは失敗する。では、どんな人がスクラムマスターに向くのか。そこで思い出したのが梅田さんの一連のエントリだ。
梅田さんが「勉強」特権階級の没落でいうところの、
「寄らば大樹,いわれたことを手際よくこなしていれば将来を約束されていたはずの人々」
という方々は、たぶん、というか間違いなくスクラムマスターに向かない。
スクラムマスターに求められるのは正直さと適応力だ。スクラムにはウォーターフォールのように定義されたプロセスが存在しない。つまり寄るべき大樹はない。ただそこには「適応せよ」というメッセージと共に、ほんの少しのプラクティスが用意されているだけだ。だから、自分で考え自分で行動する。
それは、これまで"社内で優秀とされていたプロジェクトマネージャー"ではスクラムマスターにはなれないということを示している。遠大なプロセスを定義し、それを粛々と進めようとするような。そして、遅れの原因を現場に求めるような、そんなプロジェクトマネージャーではだめなのだ。
現場を守り、顧客の理想のために顧客と戦い、上層部に現場の都合を通す。社内の評価はイマイチでも、現場や顧客に好かれていた人にスクラムは大きな力を与える。
梅田さんが「勉強能力」と「村の中での対人能力」で言うところの「村の中の対人能力」では意味がない。
これからの10年で中小のソフトハウスでも「村の外への対人能力」をもった強いチームが現れるはずだ。彼らは顧客の絶対的な信頼を勝ち取るだろう。プロジェクトに高い満足感があるため、優秀なエンジニアはそこに流れていく。
業界のトップ企業たちはすぐに気づくはずだ。小さくとも優秀なチームのほうが、大きくて凡庸なチームよりも大きな力を発揮すると。大企業が体力にまかせて案件を受ける時代はそのうち終わる。ただ大規模であるだけではなんの優位性も生まない。組織の力なんてたいしたことはないのだ。
知識はインターネットにあふれ、ベストプラクティスはオープンなコミュニティから生まれる。DIもAOPもPOJOもメタデータもアジャイル開発も、本当にヤバイ概念だ。これまでのデザインパターンなんかとは意味が違う。大規模開発に向かないなんて思っているなら、どうか考え直して欲しい。定義済みでもなく、カタログ化もされていなくて、一見では大規模開発に向かないであろうからこそヤバイのだと気づいて欲しい。
業界の常識なんて、組織の常識なんで、どーでもよい。何が本当に求められている価値なのかと正面から考えて欲しい。
変わらなければ淘汰される。「これからの10年」はそういう時代だと僕は思う。

コメント (2)
いつも興味深く拝見しています。
このエントリーで思い出した写真が1枚。
インテル設立の間もない時、ロバート・ノイス他の
数人が製造ラインかどこかで議論している図。
問題発生の現場へ、責任者が集まり解決に知恵を
出し合っている雰囲気を感じられます。
スクラムというか、アメリカンフットボールのハドル
というか、問題解決に向けて現場で短時間に判断する
重要性を示している写真ではないかと思っています。
投稿者: HgCdTe | 2005年07月06日 00:33
日時: 2005年07月06日 00:33
arclamp.jpのyusukeです。いつもコメントありがとうございます。そうですね、問題が現場で発見されてから、なるべく短時間で解決されるのが望ましいですよね。そのためには現場を解決の場にしないといけないのでしょう。
投稿者: yusuke | 2005年07月07日 01:24
日時: 2005年07月07日 01:24