GoogleのSummer of Code、先日のJavaWorld DAY 2005でのロッド・ジョンソン氏の基調講演。あらためてオープンソースというのが1つの手法として確立していることを強く感じた。
Googleのような営利企業がSummer of Codeにコミットする意味はきちんと考えられるべきだ。ロッド・ジョンソン氏は、オープンソースは、やがて伝統的な手法になると論じた。わかっている企業はオープンソースを企業プロセスとして組み込み始めている(IBMやBEAやSUN)。
リーナス・トーバルス氏が語った「JUST FOR FUN」(ただ楽しかったから)という時代は終わったのだろう。
オープンソースは、無料だとかコードが公開されているとか、そんな表層的なことではない。「デジタイズされた知の流通」というのは非常にパワフルなビジネススキームとして使えるものなのだ。その結果としてのオープンソースという形態に過ぎない。
以前、儲ける構図というエントリをしたが、そういうことなのである。望むと望まざるに関わらずオープンソースにも経済は流入し、牧歌的なコミュニティは少数派としてしか存在できない。そして、もう訪れているであろうオープンソースバブル。
インハウスで作られるコードよりもオープンソースコードは圧倒的に良質である。であれば、インハウスでモノを作る意味がどこにあるのか。差別化しようと秘密で開発しているのが、弱体化の原因となってしまう(もちろん秘密ですごいことが出来る企業もある。でも、それはほんの一部にしか過ぎない)。
ソフトウェアは"Doesn't Matter"(重要ではない)になるだろう。この意味を単純に捉えてはいけない。オープンソースを理解し、コントロールし、利用できた上で、差別化する要素を見つけるということだ。クローズという秩序と、オープンというカオスの中間。カオスのエッジをキープするためにはどうするべきか。手はあるはずだ。
