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ソフトウェアの肉体

ここ最近、ソフトウェアが、今後どうするべきかをいろいろ考えていた。いくつかのパーツがあったのだが、どうやら集約できそうな気がする。

goodpic.comの時間やジャンルを越える、思考と創造のツールとしてのフレームワーク経由で知った、1997年のブライアン・イーノへのインタビュー記事と、江島さんの世の中をぶっ壊す悪意なきテクノロジー切実なき時代の切実には、デジタル・テクノロジーに対する意見が述べられている。2人とも、違うコンテキスト/レベルで話をしているのだが、根底ではつながっている気がしたので、あわせて紹介してみる。

まず、イーノ氏は、コンピューターに動物的直感というか、原始的な感覚がないことをさして、「コンピューターの世界にアフリカは存在しない」と指摘した。

手の筋肉が発達したことでペンで書く作業ができるようになったりしました。じゃあ、いろんなことができるようになった末に、人間がテクノロジーを使って何をしたかっていうと、ボタンを押すような単純な作業なんですよ。こんなことのために鍛えてきたのかと思うと悲しくなります。

コンピュータっていうのは人間の脳の言葉で感知する部分にだけ訴えて、それ以外の感性のような部分には訴えないので、1種類の方向性しかないんです。だからそれを受け入れた人間の脳から出てくるものも、ある決まったものでしかない。

結論付けて、

デジタル・テクノロジーっていうのは人間の感覚とか筋肉に訴えるものではないと思います。

確かに。イーノ氏は、音楽家であり、より体でデジタル・テクノロジーを感じようとし、そうできないことに苛立ちを感じている。一方、江島氏は、デジタル・テクノロジーというものが、今はまだ興隆できていない現状を憂いている。まず、一般人が反応するような倫理観や社会観念を覆えしてしまうテクノロジー(=「世の中をぶっ壊す悪意なきテクノロジー」)なんて、生まれたことがないということを示し、

情報系テクノロジーはいつの間にやらpro-とanti-の両方を失って、クールの領域に近づきつつある。

つまりだな、今我々が当事者として目撃している情報技術ってやつがほんとうに革命的な科学技術に属するものなら、これによってもたらされる新しい社会システムってのは、今の権威的な用語定義でいうところの政治や経済や文化という軸では捉えられない新しいフレームを準備しなければならなくなるかも知れないってことだ。そしてそれは、数百年とかいう単位でしか起き得ない、恐ろしく慣性の大きな変化のはずなんだな。

そして、江島氏は、この後に続けて、

だから、あれこれ悩んでもしょうがなくって、今という瞬間をホットに充実させて生きていくことができる仕事に集中するのは間違いなく正しい。

とする。

確かに、魂に響くようなすごみというのは、今のソフトウェアからは感じられない。社会自体をある方向に捻じ曲げてしまうほど、価値観を変えるようなソフトウェアは存在していないのだ。また、イーノ氏が言うように、いまのコンピュータでは、そもそも動物的本能に訴えることができないから、感覚に訴えようもないという指摘も正しいだろう。イーノ氏は、求められるインターフェースとして、

改善していくにはまずインタラクティブっていうのが本当はなんなのかっていうのを考えなくてはいけないと思うんです。例えば本は開けるとすぐに読めるから、僕にとってはインタラクティブ・テクノロジーなんですね。でもそれと同じことを性能のいいコンピュータでやっても25倍くらい時間がかかるでしょう。デジタルだから、コンピュータだからインタラクティブだと考えるのは間違いで、根本的に見直したほうがいいと思います。

うーん、確かに。江島氏は、次のエントリ「切実なき時代の切実」で、

現代は「経済」というコトバが示すものの観念化・ゲーム化が過剰に進行していて、マルクスが主張した頃のような、生きていく上での切実な生産活動としての「経済」とは乖離が進んでいるのではないか、という問いです。

としている。江島氏は、"切実"という表現をしているが、イーノ氏の"アフリカ"と読み替えても同じだろう。

で、なるべく現実的に僕が思うに。

まず、ソフトウェアの肉体感というか、現実味の欠如を何とかすべきだと思う。ソフトウェアには形がないと言われているけど、それが"見える"ようにならないことには相手にしにくい。これは、パターンランゲージの父、アレグザンダー氏が家をさして言った

よいデザインの家は、コンテクストにうまく適合しているだけなく、コンテクストが何であるかをはっきりとわかるようになっている。

という言葉に表れる(参照:"ソフトウェアに必要なパターン・ランゲージとは")。つまり、良いソフトウェアとは、目に見えないビジネスを、目に見えるようにするものなのだ。この感覚がまったくないことが、スーツ(ビジネスマン)とギーク(エンジニア)のすれ違いの根本だと思う。

ちなみに、エンジニアにとっては、XPなどのアジャイル開発は、ソフトウェアの肉体を感じすることができる方法と思ったりもする。テストファーストをしていると"ソフトウェアができている感"というのがものすごくよく分かる。それって、肉体感に近いんじゃないかと思う。ただ、もちろんこれをスーツに感じろといっても無理。

だから、スーツにも"ソフトウェアの肉体"を感じられる手法というものを作らないといけない。肉体感は、自分の手で作ったものが作ったとおりに動いているのを感じるのがよい。イーノ氏は、

アナログの場合は、実際に人間の手で動かすこと、例えばテープを切ったり貼ったりするような感じで直接触れ合いがありますよね。そうすると出来上がるものっていうのは当然違ってくると思うんです。粘土だったら人間が触れるたびにどんどん変わっていくじゃないですか。でもペンで絵を描くのはそれとは違いますよね。そういった違いがアナログとデジタルにはあると思います。

といっているけど"粘土を捏ねる"ようにビジネスが設定できるのがよいはずだ。ただ、実際に粘土ほどの柔軟性は必要ない。粘土を捏ねるには、才能が要求されるからだ。だから、粒の組み合わせというところに落ち着くことになる。そのときに大事なのはスーツ側の感覚での粒度だ。"こういうことがしたい"というニーズの粒は非常に大きく、あいまいだ。例えば"担当者が売上伝票を入力する"というビジネスにおいて、画面のテキストボックス1個なんて、あって当然、どうでもいいものだ。なので、ビジネスの粒をうまく提供し、粒の組み合わせだけでシステムが動けば、粘土ほど自由ではないけど、それが肉体感につながるのではないかと思う。

そのために必要なのは、つなぎ方をサポートしてくれるプラットフォームだ。SOAやEIAで培われている技術だが、もう一段階上にいけば可能になると思う。コンポーネント指向では、インターフェース、タイミング、ロジックを密結合してしまったが、SOAのプラットフォームは、それらの疎結合を可能にするはずだからだ(EJBのコンポーネント流通が進まなかった理由といってもいい)。
くしくも(?)、江島氏の所属するインフォテリアのASTERIAなんか、その方向。あと、SAPの提唱するESAやコンポジットアプリケーションというのも面白い(記事としては、モデルドリブンのアプリケーション開発が新たなビジネス価値を生み出すが面白い。が、これ記者が内容を理解できずにトンチンカンなタイトルになっている。"SOAの"とか"プロセス指向"というべき)。

ただ、この考え方はエンジニアを不要にするものではない。粒を作るのはやはり人手になるだろうからだ。開発現場で、フレームワークが流行りすぎて設定ファイル地獄になっていように、ただ細かく設定できれば良いというものではない。繰り返しになるが、"ちょうど良い粒度"が大切なのだ。だから、粒の中身は、やはりエンジニアが作るべきだと思っている。

とはいえ、これらもすぐに実現できるわけではない。ただ、将来にわたって必要になるのが、"ソフトウェアに必要なパターン・ランゲージとは"で述べたかったビジネスプロセスをソフトウェア化するパターン・ランゲージだと思う。とりあえず、僕はこれを探求したいと思っている。

で、話は元に戻って。この"ソフトウェアの肉体"を感じられたなら、イーノ氏や江島氏の言うような、デジタル・テクノロジーの新しい世界へつながるのではないかと思う(百年先かもしれないけど)。

どうでしょ?ちょっとはホットか?

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コメント (2)

確かに、ソフトウエアに肉体があれば、より分かりやすく、スーツとギークが融合していくきっかけになるのかもしれませんね。なんだか、感銘しました!

arclamp.jpのyusukeです。yoshinoriuedaさん、こんな文章で感銘していただいてありがとうございます:)。yoshinoriuedaさんはスーツですよね?そういう方にもコメントいただけたのはありがたいですが、実践をどうするのか、いろいろ試行錯誤です。これからもよろしくです。

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2004年12月22日 01:30に投稿されたエントリーのページです。

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